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アフメト 皇子は若い頃からオスマン帝国 の継承者とみなされていた。それは他でもない、父であるバヤズィト2世 によって次期スルタンに選ばれていたからだ。多くの者はこれを当然の選択と感じていた。アフメトは立派な若者で父に忠実だったし、戦いを嫌い、秘密めいた知識に惹かれる点も父と同じだったからだ。

だが、アフメトの性格を柔弱と考える者たちは、彼をスルタンの権威衰亡の象徴と見なしていた。つまり彼は、多くの廷臣や軍人には、スルタンとしての資質に欠ける人物と映っていたわけだ。

スルタンの親衛隊であるイェニチェリ からして、次期スルタンへの不満を声高に言いつのり、指導者としての適性を公然と疑問視していたほどだった。自分の責務である帝国防衛の任を全うする気はあるのか? 南のマムルーク朝や東のサファヴィー朝に戦いを挑む意志は? アラーの御心に従い、領土を広げるという志しは? 当然、イェニチェリはこれらの差し迫った問題に対する前向きな回答を期待していたが、アフメトから満足のいく言葉が聞けるとは、これっぽちも考えていなかった。

1510年頃、アフメトの弟のセリム が、玉座を我がものにしようと、小規模な軍勢をしたがえてコンスタンティノープル に進軍した。イェニチェリから大きな支持を得ていた彼は、抵抗はほとんどないものと考えていた。バヤズィト2世がセリムの進軍を止めるために立ち上がってくれたのは、アフメトにとって何よりの吉報だった。だが、多くの人間が予想したとおり、高齢で病気がちのスルタンは凄惨さを増していく戦いに長くは耐えられなかった。 

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