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・誕生年:1450
・肩書き:ラ·ロ-ザ·デッラ·ヴィルトゥの女主人

テオドラは信仰の道に入ったときに姓を捨てたが、ヴェネツィアの税務記録によると、コンタントという家に生まれたらしい。両親は宝石店を経営していて、テオドラは売り子として母親の見習いをしていたようだ 。

1462年に店を訪れた客がこう書いている。「今日は近所にあるコンタントの店で、マルガリ-タにダイヤのイヤリングを買った。可愛らしい娘さんが箱を包んでくれた。箱を渡してくれたとき、指がふれた。動転した私は、そそくさと店を出た。ああ、まだ独身だったら良かったのに」 。

裁判所の記録を見ると、17歳になったテオドラは、とっくにウブなお嬢さんなんかじゃなくなっていたようだ。1467年12月26日、既婚男性とテオドラの不倫関係が明らかになった。男の妻が裁判所に訴え出たんだ。この手の事件ではよくある結末だが、テオドラの両親は娘を修道院に送り、一生を祈りと沈黙のうちに過ごすよう命じた 。

1467年、テオドラはサンタ·マリア·デリ·アンジェリ修道院に入り、罪を悔い改めることを誓った。ところが1473年、ドアに張り紙を残して修道院から逃げ出してしまう。張り紙の中でテオドラは、塀の中の暮らしがつまらなくて「俗っぽい」ものであり、人は「喜びを分かちあう仲間」があってこそ「神の愛を本当に受ける」ことができる、と主張していたそうだ。

テオドラはその年、ラ·ロ-ザ·デッラ·ヴィルトゥを開店した。常連客だった詩人のピエトロ·ベンボは、テオドラの娼館はまるで「カソリック新派の教会のようだった」と記しているよ。

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